かのスティーブ・ジョブス氏は若い頃から精神世界に没頭し、禅の入門書を「座右の書」としていた、という話はよく語られます。その影響かどうか、10年近く前からシリコンバレーでは「ZEN」は先端を行くコンセプト。マインドフルネスと共に語られることが多く、企業や有名大学でも取り入れられています。流行りというよりは文化として浸透しているようです。
「ZEN/禅」は世界で知られるようになり、ビジネス界でも有用なコンセプトとして扱われています。なぜ、世界のエグゼクティブは「ZEN/禅」を意識するようになったのでしょうか。知っているようで知らない「ZEN/禅」の現状を知り、この文化に慣れ親しんだ強みを活かしていきましょう。
「禅」とは何か/象徴される理想とスタイル
さて、では「禅」とは何でしょうか。日本に暮らしていると、海外の人から当然のように「わかっている」と思われることはないですか? 実は説明しようと思うと、意外に難しいものです。
一般的な説明は、禅宗(仏教の宗派の一つ)の教えや修行方法全般、坐禅による瞑想、静謐で澄んだ思考の状態、というところでしょうか。純粋な意味では。仏教的な意味合いの深い教えです。物事の本質の捉え方、エゴや傲慢を捨て去った心のあり方、利他の考え方など、広く人間の生き方を洞察する内容です。インド思想からの大乗仏教に加え、中国3大宗教の一つ、道教の影響もあるそうです。
しかし、現在「ZEN/禅」というときは、もう少し広い範囲をさすように思います。例えば、以下のようなものです。
●シンプルな生き方やあり方
●内面との対話・精神文化・精神修養・セルフコントロール
●マインドフルネス・瞑想や座禅
●茶道などの日本文化に見られる振る舞いやデザインのスタイル
●東洋思想
●東洋的な神秘
このように「ZEN/禅」はすでにコンセプチュアルなキーワードとして定着しつつあります。この言葉によって、無我の風景や精神状態、セルフコントロールや精神修養、内面への深いアプローチやスタイリッシュなデザイン、こんなものが想起されるのです。
ちょっと昔ですが、シンプルでキャッチーなスライド展開とパワフルプレゼンテーションの方法を説いた「プレゼンテーションZEN(原題:Presentaion Zen Simple Ideas and Delivery)という話題本もありました。
現在、「ZEN/禅」は高尚で神秘的な精神性の象徴であり、無駄な虚飾が削ぎ落とされたイメージを表します。そこには知的・高い精神性・豊かな人間性が内包されています。
ある意味、人間や人間の生活として理想的な状態です。そこが、人間的成長をしたいと願うビジネスパーソンを、まず自然に惹きつけるのではないでしょうか。
イメージだけではない「新しい時代のコンセプト」
「ZEN/禅」が象徴するものの一つに「東洋思想」があります。東洋思想とは、西洋、つまりヨーロッパやアメリカなどのある意味ビジネス先進国から見た「アジア」で生まれた思想・哲学を言います。
ざっくりしているとお思いでしょうが、中国、インド、イスラム、にもちろん日本も加わった「西洋から見た東洋の思想・哲学全般」と、ざっくりとした捉え方になっています。
歴史的に見て、情勢が不安になると宗教や精神文化が盛んになり、文明が高度化すると人の関心は内面や人間性に向かい思想や哲学が盛んになるということですが、現代はまさにそのどちらも当てはまる気がします。私たちは今、そんな気運にあるのでしょう。
「利他(altruism)」という言葉が盛んに使われ始めたのも、東洋思想の影響が大きいと言われています。(世界に「効果的な利他主義(effective altruism)」の意義を問うた「あなたが世界のためにできるたったひとつのこと(ピーター・シンガー著)」はビル・ゲイツに大きな影響を与えたと言われています。ビル・ゲイツと言えば、シリコンバレーの顔であった人物、もともと東洋思想的なものを理解していたのかもしれません。
特筆すべきは、現代は「ビジネス」に東洋思想を活かそうというマインドが強いことです。ニューヨークでは、忙しいビジネスパーソンがマインドフルネスのための欠かさず一定の時間を確保することが普通になっています。個人的な習慣だけではなく、その思想とビジネスでの関連性を見出すことは年々盛んになっています。ハーバードなど一流ビジネスパーソンを輩出する大学でも、東洋思想の講義はかなり人気があるそうです。
能力重視・結果主義の西洋的ビジネス評価から、人間性重視・プロセス主義の東洋的評価へ、このような「パラダイムシフト」が起きているという人もいます。また、論理的なデータに基づいた発想ではなく、人間の感情や直感に基づいたほうがイノベーティブな発想ができると言われ始めて久しいですが、この「感情・直感重視」も東洋思想の一環であると主張する人もいます。
利益追求だけがビジネスの目的ではない、人間性を重視し、人としての幸せや世界全体の利益を考えよう、という考えも盛んに言われるようになってきました。このような考えは一昔前までは「甘いおとぎ話」のように言われていましたが、今ではむしろ「多くの人が共感できビジネスの成功を生む」というマーケティング思考となっています。
ビジネスと東洋思想の関連性に興味のある方は書籍検索で「東洋思想」で検索してみると、参考になるものが出てきます。いずれにしても、柔軟性を重視し、感情や感覚を大切に扱い、利益だけでなく人間としての豊かさを追求し、自らの内面に向かい会うことを良しとする、という考え方は、ビジネス界では極めて現代的な考え方です。この考え方と「ZEN/禅」のイメージは結びつくものです。「ZEN/禅」は新しい時代にふさわしいコンセプトと言っていいでしょう。
日本にとって「強み」
このように、「ZEN/禅」は先端の考え方を象徴します。重要なビジネスコンセプトとして、マインドフルネスなど有効な習慣を表す言葉として海外で意識する多数の企業やエグゼクティブが意識しています。「ZEN/禅」は日本文化も肯定的に捉えられることに貢献し、慎ましやかで品のあり良心的なイメージを日本と結びつけてくれます。この言葉や思想が世界に受け入れられていくことは、日本にとって強み以外の何物でもありません。
ただし、私たちが「ZEN/禅」に象徴される、高尚で神秘的な精神性、無駄な虚飾が削ぎ落とされたイメージ、知的・高い精神性・豊かな人間性のイメージを著しく裏切るような態度や振る舞いを世界で示せば、それはとんでもなく期待はずれとなってしまい違和感を感じさせ、最終的には尊敬も得られない、ということも言えます。
また、上で語ってきたのは、どちらかと言えば「禅」の表面的なことであり、本来のものの一端をさすったようなものに過ぎません。本来のものである仏教的な深い教え、修行、物事の本質の捉え方、エゴや傲慢を捨て去った心のあり方、利他の考え方など、広く人間の生き方を洞察する内容を私たち日本にいるほとんどの人が理解しているとは言えません。それなのに、海外のビジネスパーソンの中には深く禅の思想に入り込み、修養を習慣にしている人は決して少なくないのです。
もちろん、日本人だからこの深い思想を理解しなければならない、常に素晴らしく人間性を表現しなければならない、というつもりはありません。それは好き好きです。そうではなく、こういうものがあるのだと「心得ておく」ということが大切ではないかと思います。そして、全く知らないなら少し興味を持ってみる、多少なりとも人に(特に海外の方に)話せるようになっておく、時々は「ZEN/禅」に象徴される態度や振る舞いのイメージを思い出してみる、ということでいいのではないでしょうか。
私たちは、すでに「ZEN/禅」の中にある良い素養を持っているはずです。しかし自覚するには、たぶん「ZEN/禅」の学習は足りていません。少しずつ学習して自覚を高めていくことも考えましょう。
お伝えしている「エグゼクティブプレゼンス」は西洋から来たものです。西洋的な洗練や表現力が重視されます。しかし、その理想とする内面的なあり方はむしろ「ZEN/禅」的です。日本人はすでに「ZEN/禅」的な素養を持っているとすると、西洋的な洗練を身につければ、まさに「東洋と西洋のいいとこ取り」。ホールワールドでベストな存在になれるはず。妄想のようですが、日本の強みとして覚えておきたいものです。